同居をしている方は本当に尊敬いたします。
私はダメでした😱
同居を始めたきっかけ
義理の父から相談があるから来てくれとTELがあり、取り合えず駆け付けた。
増築した時の残債が払えないという。
今思えば払えないことが普通ではなかったのだ。
初だったころの自分は、何も疑わなかった💧
月に1度は訪ねていたし、優しい儀父母の印象しかなかった。
儀父の提案は二世帯住宅建て替えの話だった。
オーバーローンを組んで完済させようということになった。
その頃は決して珍しいことではなかった。
話はどんどん進んでいった。
賃貸マンションを引き払い、2人の子供を連れて儀父母との仮住まい同居が始まった。
仮住まい中の理解できない言動の6大悲劇
- 息子にゴミ出しをさせないでほしい。
意味が分からないし、失敗したと思った一番の理由。 - 子供を寝かすのに旦那に布団を敷いてもらったら怒られた。あなたがやればと…
自分の子供のためにどちらがやってもいいはず、最悪… - 電気をつけると家の中が見える夜になり、カーテンを引くと怒られた。
「なんで隠すの?いやだね~」と言いながらカーテンを開けられた。
田舎で育った儀父母だから仕方がないのか?
私は反対に教わっていた。 - 全部の洗濯物は裏返して干しなさいと言われる
全部じゃないでしょうと心の中で思う。 - 勝手に人の布団を出して干しだす
自分たちのことだけやっていればいいのに、触られたくなかった。 - 引き売りの八百屋が来ると沢山買い過ぎて冷蔵庫に入らない
スイカを2玉買い、早く食べろ食べろと言う。これを言われるのが一番嫌だった。
これでお金を使い果たしたんだと納得したが、手遅れだった💰
毎日ケーキを買ってくるから、子供が🎂を嫌がるようになっていた。
長男は、幼稚園でケーキが嫌いになった。
もう既に遅かった!
夢に描いた楽しい我が家は音を立てて崩れていったのだった...
泣いた泣いた😿
夏で子供を連れて海に行った。
海の家には入らずに、水道でサッと流し車で帰ってきた。
身体は潮潮で、直ぐにお風呂を沸かし始めた。
当然自分も入れると思いきや、夕飯は天ぷらにするから揚げて頂戴!
身体に砂が残っている状態で、天ぷらをいっぱい揚げたっけ😿
今まで過ごした場所が恋しくて泣いた...
戻ることが出来ない道に入ってしまった。
好印象だった儀父母の印象が変わっていく…
最悪で、がっかりしたのはその息子の旦那だった。
両親の前では完全に子供に戻っていた。
私を見て欲しかった。
中はまだ水着だよ~
海で潮潮の私がお風呂に入れなくて、困っているのに見えないの?
目が見えていますか👀?
喜んで天ぷらを食べる姿に腹が立っていた。
海から帰って、何で天ぷら揚げなくちゃいけないの❓
絶対に食べない!
皆が食べている時に1人お風呂に入り、海の砂と涙を洗い流した。
引き返せない道...
最悪の仮住まいを終えて、完成した家にお引越しが始まった。
完全分離型ではなく玄関、お風呂、台所は一緒で広かった。
二階の子世帯は、一応ミニキッチンだけ設置をした。
ある日帰ると近所の人のルームツアーの真っ最中であった。
目を疑った!
二階からゾロゾロと下りてくるではないか…
何とデリカシーが無い人達!
それも○○学会のグループの人たち。
儀父母は○○学会であったが、私は宗教の自由を尊重していたので悪い印象は一切なかった。
だからと言って、私たちも入信することは絶対にないことは確かだった。
後に勧誘攻撃をされるが…
「○○さん、ちょっと来て話を聞いてちょうだい。」
私は何回言われても絶対に行かなかった。
この頃からか、誰も助けてくれないなら自分の意見を自分の口で伝えようと思い始めた。
強くなったんだ!私🙄
洗濯機はずっと回していて使えないから、洗濯は夜にすることに変えた。
大喧嘩の勃発!
「新築祝いをするから〇月〇日手伝ってちょうだい」
始まった始まった…
相談もなく決めている。
「その日は私居ませんけど大丈夫ですか?」
どうしてもやって頂戴と言い張る。
「何で相談してくれないんですか?」
「何で相談しないといけないの?
あなたO型でしょう?、そんなこと気にしないはず…」
もう意味不明だ!
私はもう後には引けなくなっていた。
その日は出かけるから居ません👅
とだけ言って二階に上がってしまった。
その夜のこと、死んでやると玄関を出ようとする義母を義父が止めている。
義父と旦那に謝ってくれと頼まれたが…どうしたかは覚えていない。
多分、相談をしないで勝手に決めないでほしいと頼んだのであろう。
結局決められた日時に決行され、前日から20人分の料理を一人ですることになった。
義母は前日から旅行に行き、当日客人の様にやって来た(# ゚Д゚)
完全にやられた!
そんな中でも嬉しことに、次男が産まれました。
悪阻がきつく、その機会にご飯も別にしてしまいました🙌
大きな広いキッチンは義母に明け渡し、
アパートより小さい2階のミニキッチンで家族5人分を作りました。
私は自分の城が出来て幸せでした。
それもつかの間…
旦那の会社の経営が悪くなり、私も手伝いに駆り出されました。
イヤだー イヤだー
子供たちの世話をしたかった。
新しい家に来てから産まれた次男は、まだオムツをしていました。
夜中に帰ると義母の布団から旦那が連れ出した。
それから洗濯を終わらせ、やっと寝られるという生活が続いた。
嫁は働き手としか見ていない。
私は他人、これに尽きる。
その時から未だずっと働き続けています。
経済的な安定は無!
今でもトラウマで怖くて仕事を辞めれないのです💧
その後も色々ありました。
義父のガンが発覚し、毎日義母と病院に通いました。
雪が積もっている日の夜、突然掛かってきた電話で二人で駆け付けた日もありました。
その後間もなく義父は、75歳の若さで他界しました。
その後、会社の経営は増々悪くなり、家を手放すことになったことを義父は知りません。
今でもあの家に居ると思います👻
借金返済に追われる中、まだまだ義母とのイザコザは続いていました。
お金が無いから喧嘩になるんだと思います。
一線を越えた一言で覚悟を決めた
ある日のこと、相変わらず息子の心配ばかりをしている姑。
「お母さん、私にも心配している父母が居るんですよ」と…
帰ってきた言葉が最悪だった。
「そんなの知ったこっちゃないわよ、あんたが我慢すればいいでしょ!」
何のために頑張っているんだろう…
旦那も自分のことばかりで家のこと、町内会のこと、学校のこと、全て私がやっていた。
私も朝から晩まで一緒に仕事に入っていて、これ以上私に何をしろと言うのか?
一気に嫌になった💣
離婚だ離婚だ~
もうお母さんなんて大嫌いです!
私は叫んでいた。生まれて初めての大喧嘩だった‼
追いかけてきたお母さんは、部屋の扉を凄い力で開けようとする。
凄い力だった!
あっちに言って下さい。
私も必死で開けられぬように頑張った。
当然この後一か月間、口を利かなかった。
旦那とも離婚する覚悟を決めていたので、もう誰にも遠慮することは無かった。
すったもんだが続いたが、家のローンが払えなくなり家は手放すことになった。
義母の引っ越しの準備は全て私一人でやった。息子である旦那は一切手伝ってはくれなかった。
義母の引っ越しが無事に終わり、今度は自分達の引っ越しだ!
介護の仕事を終えてからの引っ越し準備、旦那が手伝ってくれたのは最後の1週間だけ!
もはや期待もしていない...
私の意地だった😢
その時の経済的なマイナスは二度と経験したくないし、同じ失敗はしないと決めた。
もしも旦那が私の足を引っ張るようなことをしたら、即さよならをする覚悟をしての再スタート。
どれだけ巻き返すことが出来るだろうか?
自分が儀父母と同じにはなりたくないのだ。
まとめ
12年続いた儀父母との同居生活で、プラスになったことが何一つない。
生活環境が違い過ぎるのが原因だが、失敗したとでは済まない失敗であった。
同居するのは旦那次第である。
旦那が気遣いが出来、人の気持ちが分かる人でなくてはならない。
立場の違いは明確。逆らえないし、言うことは聞かねばならない。
だからと言って、使用人扱いをされるのは悲しい。
本当にみじめな思いをした( ノД`)シクシク…
分からないのが、優しかった義母が何故突然変わってしまったのか…
いえいえ私も強くなりました。
こうして12年降り続いた雨が止んだのです。
長男が結婚し、今では二児のパパ。
私は何も口出しをしません。
良い経験をしたのかもしれない...
私は宇宙人になりたくないのだ!
ただ一つ言えるのが、儀父母が息子に依存しようとし、息子も自立した夫から息子になってしまい甘えが出たということは明らかであった。
その後義母とは別々に住むことになり、最初の頃の様にひと月に1度は行って様子を見ていた。
義理の姉が週1で様子を見に来てくれていた。
本当に感謝している。
おまけ
義母から死にたいとTELがあり、聞けば薬を沢山飲んだという。
大急ぎで駆け付けた!
私は見てしまった👀
飲んだ薬は便を柔らかくする薬。
死ねないですから~
そのまま置いて帰れないので、我が家に連れて帰って来た。
3日経っても死にたいと言っている母をアパートに返すことは出来ない。
かといって、この小さくなった家に義母を迎え入れることは出来なかった。
義姉と相談し、精神病院に連れていくことにした。
診察中にも死にたいと言う。
それは言ってはいけない言葉なのに...
一か月後、落ち着いたために老人健康保険施設に入所することになりました。
その母も今では93歳になりました。
私のことは全く覚えていません。軽く会釈をしてくれます。
息子の旦那でさえ分からなくなってしまいました。
同居は慎重に考えましょう。
直ぐにではなく、夏に1週間ほど泊まってみるだけでも分かるかもしれません。
二世帯住宅に幸あれ💖